無礼なカダフィ大佐に核爆弾を売らなかった中国

 

1982年、カダフィ大佐は中国を訪問し、中国政府は、カダフィ大佐の旅程に従って事前にスケジュールを組んだ。
当時、カダフィ大佐の飛行機は、まず中国の新疆ウイグル自治区のウルムチ空港に一旦着陸し、その後、首都北京空港に向かう飛行計画であった。中国政府は、国賓を歓迎するために、すべての手配をしました。
ところが予定時刻に、カダフィ大佐の飛行機は現れることなく、また、事情の連絡さえも無かった。
そのとき中国南西部の国境は突然、3機の未知の航空機が中国の領土に侵入し、中国の戦闘機が直ちにスクランブルしたとき、そのうちの1機がカダフィの特別機であると言って通信を送ってきた。中国政府はこの情報を受け取った後、国境警備隊に3機の航空機を開放するよう指示した。
カダフィ大佐は、自分の安全のために、しばしば予定変更し、そのような予定変更が他国において問題を引き起こすかどうかは関係なく行なわれているというもの。

その後カダフィ大佐が北京のホテルに到着した。カダフィ大佐は、国賓であり、彼がどんな要求をしても、中国政府の歓迎チームは、国賓の要望に従います。ある晩、カダフィは突然、彼の女性ボディーガードの誕生日を祝うために、誕生日パーティーを開きたいと言いだし、すでに眠っているシェフを呼び出し、午前3時まで忙しい時間を強いられました。 それだけでなく、当時の中国の指導者との会談で、彼は非常に横柄な態度であった。また、一度拒否した中国の原子爆弾を購入する要求に、再び言及しました。 かつて1970年、カダフィ大佐は大使を中国に派遣し、中国の原子爆弾に高い価格を支払うことを申し出たが、中国政府は、断った。 このような雰囲気の中で、リビア中国首脳協議はすぐに終わり、カダフィ大佐に不満を抱く中国政府の首脳が多い。カダフィ大佐の人物像は、中国の指導者との会談で、非常に無礼で、横柄な性格を十分に知る結果となった。

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